これはまったくの個人的見解。
常々思う事、人は必ず死ぬ。
私もいずれ必ず死ぬ。
それがいつ来てもいいように目標に向け進んでいきたい。
去る事3週間前、6月3日に大腸憩室に穴が開き、患部の下行結腸を切除する緊急手術を行なった、というか自身の身体で行われた。
私の大腸には多数の憩室がある。
そこに様々な要因でカスが溜まり、大腸憩室炎を発症する。
これまでも幾度となく入院してきた。治療法は絶食し抗生物質の点滴を1週間、のち治癒、退院。
今回も痛みを感じ、馴染みの東京医療センターに診察に行った。
時間がかかる事は想定していたが消化器内科に1番のりしたにもかかわらず、
診察が9時、血液検査後の診察が10時。
その結果、過去にない程の炎症の値が出た。この日の夜、予定があり、明日の朝一で入院、という提案をしたが患部の破裂、失神、の恐れがあり、即入院を告げられた。
取り敢えず、CT検査に向かう。
その間、関係各所に連絡し、入院の旨を伝えた。
検査を終え、診察室に戻る途中、悪魔の囁きが…「どうせ入院絶食なら最後になんか食べといた方がいいんじゃね…」と。
そう、1日に痛みを感じていた私はそれから水しか口にしておらず、この囁きに簡単に応じてしまった。
いけない、いけないと思いつつ病院の食堂でタンメンを大事に噛み締めながら頂いた。
診察室に戻るとどうやら私を探していたらしく、直ぐに呼ばれた。
検査の結果は下行結腸に数カ所穴が開いているとの事、恐らく緊急手術になるので急ぎ、外科に行きなさい、と告げられる。この時点ではまぁなるようになるさぁ、と割と呑気に考えていた。
13時に外科の診察。
緊急手術決定。
家族を呼べ、病室の確保など、急に慌ただしくなっていった。
「食事はされてませんよね?」
という看護婦さん。
「それが…」
「まさか…」
「…実はさっきタンメンを」
「…(絶句)」
先生はじめ、看護婦さん達から怒られる。
更に急展開、患部付近は便が漏れ、上手く縫合出来ない可能性が高く、人口肛門になる可能性が高いらしい。とにかく開腹してみないとなんとも言えない、との事。
その後、一旦入院する病室に行き、荷物を置き、手術着に着替え、車椅子に乗って手術室に向かった。10枚程の承諾書にサインをしていく。要は不測事態になって帰らぬ人となってもいっさい文句は言いません、という内容。
数パーセントの低い確率ではあるがそうなる事もあるらしい。
低い確率だがそれは死ぬ、という事。咄嗟に浮かんだのは最後の食事がタンメンだった事の後悔、どうせなら日替わり定食で御飯大盛りにしておけば良かった。
更に考えた。
CTがない時代なら腹膜炎を起こし、恐らく死んでいたのではないか?
だとするとこれが動物としての寿命だったのではないか?
当たり前の様に明日が来る、そんな事はまったく保証はされていない。
無事生還できたとしたら諸々急がねばならない、と。
15:00、車椅子で手術室に入り、ストレッチャーに横になる。
麻酔の前に喉を麻酔する液体でうがい。
いよいよ麻酔。
これが辛かった。
直径3センチ程の堅いプラスチックの管を喉の奥に突っ込まれ先程のタンメンが逆流する。一瞬、私の周りを囲んでいた皆んなが避けた。
それが笑えた。
次の瞬間、落ちた。
約、3時間後、病室で目が覚めた。
諸々を把握するのにしばらく時間がかかった。
そうだ、人口肛門!
腹部を触ってみる。
どうやら、人口肛門は免れたらしい。妻や先生はじめ、看護婦さん達が私を覗き込んでいる。
鳩尾から恥骨の上辺りまで達した腹部の傷は20センチくらい。
当たり前だが痛い、突然寒気が襲い震えて来る。
点滴をはじめ、色々な管が繋がっている。勿論、寝返りは打てないし
ストレスを感じつつ、術後の状況の説明を受けた。
その時の様子がこれ
翌6月4日。
可能ならば歩行を始めるように言われる。
午前中にレントゲン検査に車いす(ベッドから車いすに座るだけでも傷口の痛みで難儀する)で向かうが痛みがひどく、引き返す。
午後、痛みを堪え、ベッド周りを歩行。
近頃は安静に、ではなく、体を動かした方がいいらしい。
身体に繋がっていた管の本数も減る。
6月5日、入院3日目。
歩行が可能になり膀胱まで入っていた尿の管が外され自力でトイレに。
経験者はお分かりかと思うが、放尿時は何とも言えない違和感やら痛みやら。
午後、看護婦さんに頭を洗ってもらう、かなりスッキリ。
後篇は後日アップ予定。