2009年 12月 06日
忘年会について |
先日、見事に『ねこのひげファイナルイベント』
これで最後だ!THE忘年会!
が打ちあがった。
この事をブログにするにあたり、1週間ほど悩み続けた。
おざなりに忘年会をリポートして終わらす手も考えたが
やはりありのままの真実をお伝えしようと思う。
これでも私は俳優だ、読者の皆様はかなり引くと思う。
キーポイントは私の恥かしい癖にある。
こんな事を公表していいのか・・・
それも覚悟の上で・・・
申し訳ないがまだ前置きが続く。
さてまずはこの癖から語らなければならない。
この癖が発覚したのが約20年前。
祖母の葬儀、いや通夜の席での事。
蝋燭の火をともし続け、親族の数名と祖母の棺の前で飲んでいた。
季節は冬、熱燗だったと思う。
前日の訃報から睡眠不足の体に熱燗はこたえた。
しばらくすると私はその場で横になり、いつの間にか眠ってしまった。
ここから私の記憶は翌朝まで途切れている。
以降は周りにいた兄を含めた親族の証言。
時計の針が0時を過ぎる頃、私は起き出し、
部屋の角に行って、白黒の幕をはがそうとしていたらしい。
親族の一人が声をかけたがいっこうにやめる気配がなく
私の様子を覗ったところ
何やらズボンのチャックを開け、放尿の体勢に入ろうとしていたらしい。
数人で慌てて取り押さえたところ、すでに寸前の状態。
後は私の頭の中の蛇口をひねれば放水を開始する。
皆で一旦、モノを仕舞わせ、マネキンを運ぶようにトイレに連れて行き
男子用朝顔の前に立たせたらしい。
証言によると
ここで用を足せ、という言葉に素直に頷き、
閉まっているチャックの前に両手を添え
気持ちよさそうな顔をしたらしい。
「あっ」叫んだ兄だったが、時既に遅し。
私の下半身はおしっこを漏らした状態になってしまったらしい。
その後の掃除、私の下半身の後始末は兄が行ってくれたらしい。
誠にもって申し訳なく・・・
以来3.4年に一度の割合でこの奇行は続いている。
分析してみると
何やらかなりの情緒不安定な出来事、また途轍もなく嬉しい出来事、
それに日本酒の熱燗で酔っ払う、という事が重なった場合に発症すように思う。
さて忘年会。
この人を抜きに語ることは出来ない。
そう、S社長である。
この忘年会は貸切で
しかも会費無料で行ったのだが、スポンサーは勿論S社長である。
昨年の東京上映から始まり、福岡、大阪の舞台挨拶にも駆けつけ
DVDに関する様々な援助、そして蓼科映画祭での大盤振る舞い、と
この1年ちょっと、二人で悪戯でもするように楽しんできた。
その悪戯もこれが最後、だったはずが・・・
S社長は体調不良と仕事の多忙から欠席とあいなった。
一番楽しんで欲しかったS社長の欠席に私の落胆は大きく
ぬる燗をちびちび飲んでいた。
周りの皆は楽しく飲んでいるが、私は一人冷めていた。
折角集っていただいたのに、最後の忘年会であるのに・・・
もうねこひげメンバーで飲むこと、私からは誘う事はないだろうと思うと
皆へのお礼の言葉を述べるべきだった・・・
しかし誰ともゆっくり話す事もなく、黙々と杯を重ねたように思う。
美味しい料理と旨い酒、そして楽しい仲間。
忘年会の間の記憶もしっかりある。
終了後、Mさんを無理矢理誘い、我が家で焼酎を飲んだ。
それも空き、渋々床に着いたことも覚えている。
数時間後、私の記憶はキッチンの床掃除をしているところから復活する。
何故?何故俺はこんなところを掃除しているのだろう。
そういえば、さっき妻がもの凄い勢いで怒っていた。
そしてカーぺットは30センチ四方が濡れている。
その姿を妻がデジカメで撮影している。
Mさんの睡眠を邪魔して悪いなぁ、と思いつつ。
もしや、と思い濡れているその場所に恐る恐る鼻を近づける。
「あぁやってしまった、またしても」
もうかなりの自己嫌悪である。
そして現在もかなり凹んでいる。
これで最後だ!THE忘年会!
が打ちあがった。
この事をブログにするにあたり、1週間ほど悩み続けた。
おざなりに忘年会をリポートして終わらす手も考えたが
やはりありのままの真実をお伝えしようと思う。
これでも私は俳優だ、読者の皆様はかなり引くと思う。
キーポイントは私の恥かしい癖にある。
こんな事を公表していいのか・・・
それも覚悟の上で・・・
申し訳ないがまだ前置きが続く。
さてまずはこの癖から語らなければならない。
この癖が発覚したのが約20年前。
祖母の葬儀、いや通夜の席での事。
蝋燭の火をともし続け、親族の数名と祖母の棺の前で飲んでいた。
季節は冬、熱燗だったと思う。
前日の訃報から睡眠不足の体に熱燗はこたえた。
しばらくすると私はその場で横になり、いつの間にか眠ってしまった。
ここから私の記憶は翌朝まで途切れている。
以降は周りにいた兄を含めた親族の証言。
時計の針が0時を過ぎる頃、私は起き出し、
部屋の角に行って、白黒の幕をはがそうとしていたらしい。
親族の一人が声をかけたがいっこうにやめる気配がなく
私の様子を覗ったところ
何やらズボンのチャックを開け、放尿の体勢に入ろうとしていたらしい。
数人で慌てて取り押さえたところ、すでに寸前の状態。
後は私の頭の中の蛇口をひねれば放水を開始する。
皆で一旦、モノを仕舞わせ、マネキンを運ぶようにトイレに連れて行き
男子用朝顔の前に立たせたらしい。
証言によると
ここで用を足せ、という言葉に素直に頷き、
閉まっているチャックの前に両手を添え
気持ちよさそうな顔をしたらしい。
「あっ」叫んだ兄だったが、時既に遅し。
私の下半身はおしっこを漏らした状態になってしまったらしい。
その後の掃除、私の下半身の後始末は兄が行ってくれたらしい。
誠にもって申し訳なく・・・
以来3.4年に一度の割合でこの奇行は続いている。
分析してみると
何やらかなりの情緒不安定な出来事、また途轍もなく嬉しい出来事、
それに日本酒の熱燗で酔っ払う、という事が重なった場合に発症すように思う。
さて忘年会。
この人を抜きに語ることは出来ない。
そう、S社長である。
この忘年会は貸切で
しかも会費無料で行ったのだが、スポンサーは勿論S社長である。
昨年の東京上映から始まり、福岡、大阪の舞台挨拶にも駆けつけ
DVDに関する様々な援助、そして蓼科映画祭での大盤振る舞い、と
この1年ちょっと、二人で悪戯でもするように楽しんできた。
その悪戯もこれが最後、だったはずが・・・
S社長は体調不良と仕事の多忙から欠席とあいなった。
一番楽しんで欲しかったS社長の欠席に私の落胆は大きく
ぬる燗をちびちび飲んでいた。
周りの皆は楽しく飲んでいるが、私は一人冷めていた。
折角集っていただいたのに、最後の忘年会であるのに・・・
もうねこひげメンバーで飲むこと、私からは誘う事はないだろうと思うと
皆へのお礼の言葉を述べるべきだった・・・
しかし誰ともゆっくり話す事もなく、黙々と杯を重ねたように思う。
美味しい料理と旨い酒、そして楽しい仲間。
忘年会の間の記憶もしっかりある。
終了後、Mさんを無理矢理誘い、我が家で焼酎を飲んだ。
それも空き、渋々床に着いたことも覚えている。
数時間後、私の記憶はキッチンの床掃除をしているところから復活する。
何故?何故俺はこんなところを掃除しているのだろう。
そういえば、さっき妻がもの凄い勢いで怒っていた。
そしてカーぺットは30センチ四方が濡れている。
その姿を妻がデジカメで撮影している。
Mさんの睡眠を邪魔して悪いなぁ、と思いつつ。
もしや、と思い濡れているその場所に恐る恐る鼻を近づける。
「あぁやってしまった、またしても」
もうかなりの自己嫌悪である。
そして現在もかなり凹んでいる。
by e-ohki
| 2009-12-06 08:46