2012年 07月 07日
佐藤B作さん |
B作さんとのファーストコンタクトは
火曜サスペンス劇場「海の道」 金子成人脚本 下村優監督
(1999年4月13日放送)
この作品は亡くなられた田中好子さんとB作さんの主演のドラマでした。
全編長崎ロケで、長崎出身でもある僕は
地元の刑事役で出演しました。
更にB作さん専属の方言指導の仕事も仰せつかりました。
このロケの数日前、B作さんの奥さまが事故で亡くなられました。
撮影に迷惑をかけないようにと、B作さんはこの事を隠し
クランクインされました。
当時所属していた事務所のマネージャーとB作さんのマネージャーの方は
仲が良く、その訃報を僕もクランクイン前に知りました。
ただ、B作さんが気を遣って周りに内密してる事も知っていたし
現場では僕も知らない振りしよう、そう決めて初日を迎えました。
初日の撮影が終わりB作さんから声をかけて貰いました。
「大城くん、呑みに行こうよ」と。
二人きりだし、なるべく明るく振る舞うしかなかったんですが
乾杯するなり、奥さまの事故の事を訥々と話されました。
僕は謝るしかありませんでした。
知ってました・・・と。
ロケの間、B作さんと僕は、好子さん達やスタッフ、他のキャストも交え
毎晩、呑みに行きました。
敢えて明るく振る舞うB作さんに
毎晩涙腺が緩んだのを覚えてます。
ただ僕が泣くわけにはいかない、そう思い必死に涙を堪えて、お酒を呑みました。
何度か現場でご一緒させていただいたり
B作さんのヴォードヴルショーを観に行ったり・・・
そして今回の作品のオファーです。
B作さんは
「大城には一番苦しい時に助けてもらったから、俺はノーギャラでも参加させてもらう」
と電話の向こうで仰いました。(少しだけですがギャラはお支払いしました)
B作さんの沖縄ロケもつつがなく終わり、
那覇空港までお送りしました。
劇団本公演の合間の貴重な数日を
我々の作品の為に沖縄まで来ていただいた、明日には北海道での地方公演が始まる。
感謝しきれない
思いでB作さんにお礼を言いました。
目があいました。
B作さんの目に涙が溜まっていました。
那覇空港の出発ロビーで泣きながら抱き合いました。
たぶんこの気持ちは二人にしかわからないのかも知れません。
「もういいから早く現場に行って仕事しろ!」
空港から現場に戻る車中、泣きながら運転したのを覚えてます。
あの時泣けなかった分の涙が溢れました。
この作品を一人でも多くの人に届ける事。
それがB作さん達諸先輩、同僚、後輩俳優の皆さんへの恩返しだと思います。
胸の奥にしっかり置いて進んでいきます。
火曜サスペンス劇場「海の道」 金子成人脚本 下村優監督
(1999年4月13日放送)
この作品は亡くなられた田中好子さんとB作さんの主演のドラマでした。
全編長崎ロケで、長崎出身でもある僕は
地元の刑事役で出演しました。
更にB作さん専属の方言指導の仕事も仰せつかりました。
このロケの数日前、B作さんの奥さまが事故で亡くなられました。
撮影に迷惑をかけないようにと、B作さんはこの事を隠し
クランクインされました。
当時所属していた事務所のマネージャーとB作さんのマネージャーの方は
仲が良く、その訃報を僕もクランクイン前に知りました。
ただ、B作さんが気を遣って周りに内密してる事も知っていたし
現場では僕も知らない振りしよう、そう決めて初日を迎えました。
初日の撮影が終わりB作さんから声をかけて貰いました。
「大城くん、呑みに行こうよ」と。
二人きりだし、なるべく明るく振る舞うしかなかったんですが
乾杯するなり、奥さまの事故の事を訥々と話されました。
僕は謝るしかありませんでした。
知ってました・・・と。
ロケの間、B作さんと僕は、好子さん達やスタッフ、他のキャストも交え
毎晩、呑みに行きました。
敢えて明るく振る舞うB作さんに
毎晩涙腺が緩んだのを覚えてます。
ただ僕が泣くわけにはいかない、そう思い必死に涙を堪えて、お酒を呑みました。
何度か現場でご一緒させていただいたり
B作さんのヴォードヴルショーを観に行ったり・・・
そして今回の作品のオファーです。
B作さんは
「大城には一番苦しい時に助けてもらったから、俺はノーギャラでも参加させてもらう」
と電話の向こうで仰いました。(少しだけですがギャラはお支払いしました)
B作さんの沖縄ロケもつつがなく終わり、
那覇空港までお送りしました。
劇団本公演の合間の貴重な数日を
我々の作品の為に沖縄まで来ていただいた、明日には北海道での地方公演が始まる。
感謝しきれない
思いでB作さんにお礼を言いました。
目があいました。
B作さんの目に涙が溜まっていました。
那覇空港の出発ロビーで泣きながら抱き合いました。
たぶんこの気持ちは二人にしかわからないのかも知れません。
「もういいから早く現場に行って仕事しろ!」
空港から現場に戻る車中、泣きながら運転したのを覚えてます。
あの時泣けなかった分の涙が溢れました。
この作品を一人でも多くの人に届ける事。
それがB作さん達諸先輩、同僚、後輩俳優の皆さんへの恩返しだと思います。
胸の奥にしっかり置いて進んでいきます。
by e-ohki
| 2012-07-07 11:42