2008年 01月 27日
闘魂 |
中学生の頃、私が敬愛したのがアントニオ猪木さんと瀬古利彦さん。
猪木さんはきっと誰もが知っている人。
瀬古さんは当時、無敵のマラソンランナーだった。
で、私は当時、長崎県では無敵のランナーだった。
レースには必ず身につけていたものがある。
「闘魂」はちまき。
青いはちまきの真ん中に自ら「闘魂」と刺繍したものだ。
スポーツは戦いでもある、というか当時の私にとって出場したレースはすべて戦いだった。
参加する事に意義があるなんて事はまったくなかった。
レース前はかなりナーバスになった、そして己が身に刻んだのは闘魂だった。
俳優になった。
この「闘魂」は私の中から消えて行った。
それが今、消えかかっていた今、その「闘魂」に再び火が着いた。
「ねこのひげ」という作品にはまったく似つかわしくない言葉「闘魂」。
作る前、作ってから、そして現在も自主映画という製作スタイルを危惧する声が多く私の耳に入る、もしくは直接言われる。クランクイン前に決まりかけたスポンサーも自主映画のマスターべーション的考えを理由に断られた。
当時から私は思っていた。
どんなに苦労しようが、仮に私が自己破産しようが、製作過程で涙ぐましいエピソードがあろうが、私が公開目前で癌に犯され死を迎えようが、要はその作品の中身と、一番重要な公開すること、であると。
どんなに素晴らしい作品が完成してもそれを人に観てもらわなければ単なる高価で豪華なホームビデオに過ぎない。
まして俳優仲間や先輩、後輩、スタッフ、関係者は私がお願いしたり、脅したり、私の考えに賛同し、心意気で集ってくれた人達だ。
公開以外に社会人として俳優として私は生きる道はない(ちょっと大袈裟か)。
現在も効率は必ずしもいいとは言わないが出来うる限りの宣伝活動はやっている。
まして私はこの作品を誰よりも愛している、いや溺愛している。
それでもまだ聞こえてくる危惧の声。
久々に私の「闘魂」が点火!
見ていろ!劇場は満員御礼札止め、そしてロングラン記録樹立を目指し、
この作品にあえて絡まなかった、もしくは拒否した人間達に一泡吹かせてやる。
という訳で、今、私はかなり燃えている、闘魂!
で、叫んだ。1・2・3・ダァァァー!
猪木さんはきっと誰もが知っている人。
瀬古さんは当時、無敵のマラソンランナーだった。
で、私は当時、長崎県では無敵のランナーだった。
レースには必ず身につけていたものがある。
「闘魂」はちまき。
青いはちまきの真ん中に自ら「闘魂」と刺繍したものだ。
スポーツは戦いでもある、というか当時の私にとって出場したレースはすべて戦いだった。
参加する事に意義があるなんて事はまったくなかった。
レース前はかなりナーバスになった、そして己が身に刻んだのは闘魂だった。
俳優になった。
この「闘魂」は私の中から消えて行った。
それが今、消えかかっていた今、その「闘魂」に再び火が着いた。
「ねこのひげ」という作品にはまったく似つかわしくない言葉「闘魂」。
作る前、作ってから、そして現在も自主映画という製作スタイルを危惧する声が多く私の耳に入る、もしくは直接言われる。クランクイン前に決まりかけたスポンサーも自主映画のマスターべーション的考えを理由に断られた。
当時から私は思っていた。
どんなに苦労しようが、仮に私が自己破産しようが、製作過程で涙ぐましいエピソードがあろうが、私が公開目前で癌に犯され死を迎えようが、要はその作品の中身と、一番重要な公開すること、であると。
どんなに素晴らしい作品が完成してもそれを人に観てもらわなければ単なる高価で豪華なホームビデオに過ぎない。
まして俳優仲間や先輩、後輩、スタッフ、関係者は私がお願いしたり、脅したり、私の考えに賛同し、心意気で集ってくれた人達だ。
公開以外に社会人として俳優として私は生きる道はない(ちょっと大袈裟か)。
現在も効率は必ずしもいいとは言わないが出来うる限りの宣伝活動はやっている。
まして私はこの作品を誰よりも愛している、いや溺愛している。
それでもまだ聞こえてくる危惧の声。
久々に私の「闘魂」が点火!
見ていろ!劇場は満員御礼札止め、そしてロングラン記録樹立を目指し、
この作品にあえて絡まなかった、もしくは拒否した人間達に一泡吹かせてやる。
という訳で、今、私はかなり燃えている、闘魂!
で、叫んだ。1・2・3・ダァァァー!
by e-ohki
| 2008-01-27 17:22