2008年 03月 05日
自主映画 |
この作品は正真正銘の何を隠そう、本物のリアル自主映画だ。
ではここで自主映画の定義。
まず自分達で作る。
制作会社、もしくはスポンサーに頼らず
投資ではないカンパ金をふくめた自分達のお金で作る。
私が大金を使い、例えば10億円で自分の書いた脚本で映画を作る、
これも厳密に言うと自主映画。
では自主映画のイメージというと
これはあまり芳しくない。
どうしても学生のそれを連想してみたり、完成度が低かったり、
内容が稚拙だったり、まるで知らない出演者たちだったり・・・
つまり素人の域をでない、そんな作品。
まぁ一言で表すなら「貧乏臭い映画」それが自主映画の持つイメージかもしれない。
初主演作品「ある探偵の憂鬱」も自主映画であり、プロモーションの時から
監督は「この作品は自主映画」と言っていた。
まだ若い私は内心、わざわざ作品の品格を落とすような事を言わないでもいいのに、
と思っていた。
その頃の矢城監督の立場になり、その事がようやくわかった。
作品に対する自信と愛情があれば背伸びすることなく、普通に言える。
「この作品は自主映画です」と。
だってほんとにそうなのだから、間違っても商業映画とは言えない。
「ねこのひげ」は我々のチームが思いを結集し、やりたいことをやりたいように、
監督の統制のもと、変な政治的圧力もなく(大体、私は矢城監督を信じ切っている)、のびのび自己主張した作品だ。
それがドナルド・リチー氏から「現代の小津作品だ!」だと、びっくりマークが入る賛辞をいただき、イメージフォーラムでの公開が決まった。
ここまで政治的、もしくは金銭的なものは一切絡まず、
純粋に作品を評価してもらい、上映が決まったと思っている、事実そうだ。
画期的な自主映画、豪華キャストの自主映画、一流のスタッフが集結した自主映画、
ぴあ誌に「小津の再臨か!?」と言わしめた自主映画。
痛快だ!
背伸びはいらない、「ねこのひげ」は正真正銘、自主映画です。
監督万歳!ヤッホー!
ではここで自主映画の定義。
まず自分達で作る。
制作会社、もしくはスポンサーに頼らず
投資ではないカンパ金をふくめた自分達のお金で作る。
私が大金を使い、例えば10億円で自分の書いた脚本で映画を作る、
これも厳密に言うと自主映画。
では自主映画のイメージというと
これはあまり芳しくない。
どうしても学生のそれを連想してみたり、完成度が低かったり、
内容が稚拙だったり、まるで知らない出演者たちだったり・・・
つまり素人の域をでない、そんな作品。
まぁ一言で表すなら「貧乏臭い映画」それが自主映画の持つイメージかもしれない。
初主演作品「ある探偵の憂鬱」も自主映画であり、プロモーションの時から
監督は「この作品は自主映画」と言っていた。
まだ若い私は内心、わざわざ作品の品格を落とすような事を言わないでもいいのに、
と思っていた。
その頃の矢城監督の立場になり、その事がようやくわかった。
作品に対する自信と愛情があれば背伸びすることなく、普通に言える。
「この作品は自主映画です」と。
だってほんとにそうなのだから、間違っても商業映画とは言えない。
「ねこのひげ」は我々のチームが思いを結集し、やりたいことをやりたいように、
監督の統制のもと、変な政治的圧力もなく(大体、私は矢城監督を信じ切っている)、のびのび自己主張した作品だ。
それがドナルド・リチー氏から「現代の小津作品だ!」だと、びっくりマークが入る賛辞をいただき、イメージフォーラムでの公開が決まった。
ここまで政治的、もしくは金銭的なものは一切絡まず、
純粋に作品を評価してもらい、上映が決まったと思っている、事実そうだ。
画期的な自主映画、豪華キャストの自主映画、一流のスタッフが集結した自主映画、
ぴあ誌に「小津の再臨か!?」と言わしめた自主映画。
痛快だ!
背伸びはいらない、「ねこのひげ」は正真正銘、自主映画です。
監督万歳!ヤッホー!
by e-ohki
| 2008-03-05 05:01